リラックスほるん

 

たまに、隣の家のおじさんが避暑に帰ってくる。

おじさんを発見すると、とっ捕まえて(笑、「今晩、空いてますか?」

おじさんはもう70歳超えてるけど、定年までは小学校の音楽の先生で、いつもこの別荘に帰ってくるとキーボードを弾いている。

夜8時、ほるんを抱えてテクテク隣の家へ。縁側の網戸をガラっと開けるとテレビを見ているおじさん。

「こんばんわぁ!」と、大声を張り上げる。トトロの口。

「んな、やろっか~」と、キーボードを引っ張り出してくれる。

曲は主に、小学校の教科書。器楽のリコーダーや合唱の楽譜を弾いてもらって、メロディーをほるんで。

ララルー、峠の我が家、ムーランルージュの歌、夢路より、少年時代…

シンプルなメロディーだけど、私にはいい練習。移調の訓練にもなる。

今日はエディオール持ってって録音。ここんとこ自分の音程感覚が信用できないので、ちょうどいい機会。演奏を録って、感覚と実際の音のズレを知る。

次は、唱歌。「里の秋」大好き。ぼちぼちこの曲が映えるいい季節。

浜辺の歌、荒城の月。花の街。

網戸にはりついてるアブラゼミがお客さん。

ほるんには、歌詞がない。鼻歌のように自由自在にほるんが吹けたらどんなにいいだろう。

トムとジェリーみたいな慌ただしさをしばし忘れて、リラックスほるん。

@2017.8.28

 

田んぼの草取り。黙々と単純作業。腕がだるいなぁ。

毎年、草取りの時期は吹奏楽のコンクール前。

気が付けば、草取りしながら、頭の中にコンクールの曲が巡っている。

今年は課題曲が奇跡的に素敵。あのフレーズをどう吹こうかなーとあれこれ思案。

風がとまって手を止めると、しーん。空が高い。

ふいに「虚空」という言葉が浮かぶ。坂口安吾の「桜の森の満開の下」の小説に出てくる、桜の花びらの舞う「虚空」だ。

このイメージがしっくりくる。

じゃ、このイメージを表現するにはどういう手法をとったらいい?

出だしのアタックは、はっきりめ?やわらかめ?透明感を出す感じならはっきりいこうか。

伸ばしている間は音をまっすぐにする?ちょっとビブラートをかける?クレッシェンドする?するならどこからする?

加速はどこからする?

花びらが落ちる感じだけど、最初はひらりゆっくり、その後くるくる舞い落ちる。

 

…とかなんとか考えてると、しんどい作業の気がまぎれる。

音楽は常に自然の動きに即しているから、水や風や木、土に例えるとわかりやすい。

農作業も感性を養う練習だ、と思うようにしている。

 

@2017.7.6

「クープランやってみーひん?」

その日からずっと夢の中にいる気分。

「クープランの墓」ラヴェルが1914年から3~4年かけて作曲したピアノの組曲を木管5重奏のアレンジで。

ずっとずっと憧れだった木管アンサンブル。高校2年の時に木管4重奏でロッシーニを練習した。この時初めて、自分のほるんの音が気に入った。音の質にこだわることを始めた。

それ以来、木管アンサンブルとは縁がなく、淡い憧れだけを抱いてきた。

 

クープランの墓。まず、楽譜が素敵。フランス語が綺麗。ビジュアルだけでアート。

難しい譜面だけに、わくわくしてしまう。

きっと、吹けないでしょう(笑 でも、練習するのに罪はない。

アラベスクのようにうつくしい。さらさらと、くるくると、透明感。深い淵の色。

ピアノの原曲や、レヴァンフランセの木管5重奏を聴きながら、心の中は音楽の旅が広がる。

いつかやってみたいな。

@2017.6.25

吹奏楽をぼやく

三条JEUGIAに行くときのドキドキ感。たった1枚のCDを選ぶのに、半日かかる。吹奏楽CD視聴コーナーに入り浸る、そんな学生時代。

この時から集め出したCDたちは、今もそのまま。

イーストマンブラスアンサンブルの、モノラル録音。CD集め駆け出しの頃、何も知らなかった私は、1500円(+税)という安さにひかれて、このCDを衝動買いした。帰って聴いてびっくり。録音の音の粗さ、ノイズの多さにがっかりして、しっかり聴くことなくラックの隅に追いやってしまった。これが名演だと気づくまで私には経験が必要だった。ホルストの組曲、オーウェン・リードのメキシコの祭。血が沸騰する。管楽器だけで織りなすハーモニーはオケとまた違った色合いがあって、息遣いがすぐそばで聞こえるよう。

私にとっての吹奏楽の魅力はここにあって、10年たった今でも色あせることはない。

今はYouTubeで手軽に音が聴けるけれど、自分が昔集めたCDにある演奏たちは、いつも自分の心に近いところに居る。

吹奏楽は、単なる部活音楽、オケの妥協、ではない。

近年、たくさんの吹奏楽の曲が作られているけれど、使い捨てのような消費音楽の流れに乗って、流行ってはすたれていく。

でも、昔の名曲たちは、そう簡単には消えない。演奏される機会をずっとずっと待っている。そのうち誰かが宝箱の重い蓋を持ち上げて、光が入る。

本当にいいものは、自らアピールしなくとも、その存在感を失わない。

煙霞梅香を遮らず

2週続けて、高島市内での本番。

市民音楽祭では、児童合唱団の伴奏(ピアノ+Fl,Hn)

劇団つばめ公演では、劇のBGM等を生演奏で。

特に劇団とコラボ、っていうのは初めてで、変な緊張感があった。

作曲を手掛けた先輩が隣に。またピアニストの先輩の素敵な伴奏。

プレッシャーを感じながらも、自分の音を日々向き合う。

みんなで合奏、とはまた違う、自分の音への責任。

目に見えるミスは許されない。

自分の音がプンプン匂う。良くも悪くも。

これらの本番で、この楽器を持って初めて、音をひとつも外さずにノーミスで乗り切れた。

音を間違えない、ってあたりまえ、と思うかもしれないけど、ほるんという楽器を吹く私にとっては、すごく重要なこと。最低限であり、最高なこと。

最近になってようやく、ほるんがちょっと自由自在。

@2017.3.20

雪に合う音楽

週2回、ほるんの練習に行くのに片道90分あまり。車の音楽鑑賞会、行き帰りでがっつりどっぷり。

何がいいって、音楽と風景の移り変わりが楽しめて、映画みたいな雰囲気が味わえるのです。

雪の日の運転は相当怖いけど、その反面とても素敵なことが。

夜の雪はとてもいい感じの風景なのです。

木々に降り積もった雪が静かできれい。ちらちら舞い降りる氷の一粒一粒がライトにきらめいて。

雪の風景に何の曲がマッチするかな?といろいろかけてみる。すると面白いことに合う曲と合わない曲があることに気が付くのです。

 

【雪に合う曲】クラシックver

・ラフマニノフはだいたい何でも合う。特にピアノコンチェルトはダントツ

・ドボルザークの弦楽四重奏「アメリカ」

・モーツァルトのホルン協奏曲

・シューマン「ライン」

 

【雪に合わない曲】

・ホルスト「惑星」

・ネリベル「交響的断章」(吹奏楽)

・マーチ系一式

 

こうしてみてみると単純に、テンポの速いテンション高めの曲は雪にミスマッチなのかなと思う。

まだまだ、この冬試せるチャンスがありそう。来週も雪マーク。

@2017.1.20

月とほるん

冬は43度~45度のお風呂を沸かします。薪がたくさん要るけど、かなり熱めに。

湯気のむんむん立ち上るお風呂にじゅわっとつかって、じんじん身体を芯から温めます。そうすると、お風呂上がりのぽかぽか時間が長く保てます。

わずかのこのお風呂上がりの時間に、ほるんを出してきます。家の中のこたつの机に腰掛けてぽーぽー吹いていたら、後ろからぼわっと風が押してきたのです。

お外に行った方がいいのかな、とつっかけ履いて出てみると、煌々と満月。

カンカンに凍てつく空に切り取ったように浮かぶ月。

ありがたいことにまだ体温が温存されて、パジャマだけでも寒くない。

最高に贅沢なほるんの時間。

月がほるんのベルに映ってキラキラするし、音は森にこだまするし。冬ごもりの生き物たちがお客さん。

月とほるんはやっぱり似合う。

15分もすると手がキンキンに冷えてきます。そろそろ、終わりの時間。

家に入ると猫がぬくぬく寝ています。

ほるん、もう吹けないな。泣く泣くお片づけ。

@2016.1.12

音楽バカ

音楽のことになるとつっぱしってしまう

今のハーモニー絶妙やったな!って興奮してしまう

ココはこう吹きたいってツバ飛ばして言い張る

たった数分の練習のために遠い道のりをぶっとばす

好きな曲が流れ出すと頭を離れない、人の話も上の空

あの時の感動を思い起こすと熱く熱くなって声も大きくなる

旅行に出てしまうと唇がそわそわしてくる

この曲いい、あの曲やりたいなど言い出すと本当に止まらない

脳みそ9割以上、楽譜

がむしゃらに楽器にむさぼりついている

 

そんな音楽バカが、最近周りに少なくて。

私をハラハラどきどきさせてくれる、そんな人たちと音楽ができたら練習がいきいきしてくるかな。

元旦ほるん

今年の新年は能家の自分の部屋でしっぽりと迎えます。

時計が0時になったところで!

ほるん登場!

窓を開けて山に向かってファンファーレ。

とっさにフレーズが出てこなくて、今練習している「トスカ」第3幕冒頭を吹いてしまいました。「悲劇」で今年の幕開けです…笑

”下手”ですが”好き”は負けないよ。ということで飽きるまで今年もほるんを頑張ることにします。@2017.元旦

ほるんのクリスマス

お隣さんの家は普段おられないけれど、月に1回か2回、余暇を過ごしに来られる。

そこのおじさんはもう70代だけど、定年前は、学校で音楽を教えておられた先生。

帰ってくると、オペラのようにダンディーな声で歌を歌ったり、キーボードを弾いたり、音楽三昧。

ある日、そこへほるんを抱えて行ったのをきっかけに、おじさんが帰ってくる度、何か伴奏をしてもらって私がメロディーを吹く、という遊びが今や定例になりつつある。

今日はクリスマス。クリスマス会しましょう♪ということで「みんなの歌」をぺらぺら…っと。

「ジングルベル」「きよしこのよる」「サンタが町にやってくる」などクリスマスソングの定番を次々に。ちょうど移調に慣れる勉強にもなる。

一通りクリスマスソングを演奏し終えて、他のページをめくると

「冬景色」これ、最高にいいよね、と意気投合。

そして次に、「たんぽぽ」という歌がふと目にとまった。

「あ、これ…」何だか懐かしさがこみ上げてきた。

小学生の頃、気に入ってお母さんに伴奏してもらったり、お姉ちゃんとハモったりして何度も何度も歌った曲だった。

おじちゃんが伴奏してくれるというので、ほるんで吹いてみた。

シンプルなフレーズだけど、心を込めて吹きたい気持ちで胸がいっぱいになった。

これほど音をひとつひとつ丁寧に吹いたこと、近頃あっただろうか。

これほど音と音の間や余韻にまで気を配って吹いたこと、あっただろうか。

ストンビのほるんになかなか馴染めず、うやむやした気持ちばかりで過ごした1年。スランプ、なのか、元来こんなもんなのか、よくわからないけど、音を自由自在に操ることがぎこちなくなって、吹き方も消極的になっていた。

音楽を本当に楽しむために、私の音楽の居場所はどこなのか、そんなことを考えた。

@2016.12.25

レ・ヴァン・フランセ

 

今月は、カレンダーの10月27日の箱に、この文字が居座って、どんな世界に出会えるのだろう…と静かにどきどきして過ごした。

世界最高峰のソロ・プレイヤーたちが奏でる木管アンサンブル。

年に1回は上質の音楽で心を洗おう、そう思いながらも日常に飲まれて動けなかったが、これだけは興奮してつい衝動的にチケットを手に入れた。

自分の音楽への想いと不器用さにあほらしくなって、音楽に身を削っているだけの空しさが押し寄せてきて、秋のもの悲しい雰囲気に押され・・・ナイーブになっていた私。

いずみホールのシャンデリアのキラキラをぼーっと見つめて開演を待つ。

初めて、いや過去にも聴いているはずだが、今回ほど驚きと感動を以て音楽に触れたのは、”今の私”だからかもしれない。

まるで雲の上にいるようなほるんの音色は、ホール飛び出してどこまでも広く、宇宙の星や月まで通り抜けていってしまうような共鳴。

バスン、フルート、クラリネットの3人が、まるで50数人のオーケストラを演奏するようなスケールでアンサンブルを繰り広げる。

音量じゃないfとp。メレンゲのように滑らかなスラー。

人間の耳に絶妙に心地よい音質と音程。

オーボエの、心の芯にまでグッと訴えかけてくる、たたみかけるような歌。

音のブレンドがきめ細やかで、何の楽器の音がわからない、むしろ楽器なんて問わない、そんなひとつのまとまりとしての音質の存在。

そこで、その音楽を自分の生きているところに重ね合わせると、自分の知らない部分に気づく。

私はつくづく、音楽に救われている。

音楽に振り回されている。

好きであるが故に辛くて投げ出したくなる。

でも結局いつも手放せずに抱きしめてしまう。

 

帰って今すぐほるんを吹こう。

もしかしたらあんな音が出るかもしれない…

一生に一音でいいから、あんな広く優しいほるんの音を奏でてみたい。たった1回だけでいいから。神様お願い。

2016.10.28

昔のいい曲

ある中学校吹奏楽部のほるんを見にいく。

朝、駐車場に車を停めて外に出ると、ポコポコポン、テンプルブロックの音が上から聞こえてくる。

あぁ、懐かしいなぁ。チャンスの「呪文とおどり」。久々。

最近のコンクールでも、昔の曲は演奏機会を減らしていて、聞かれることが少なくなったように思う。

ついつい、指導にも熱が入る。

私たちアマチュアの吹奏楽は、奏者の情熱と、いい曲が組み合わさった時にぶるぶる震える。

そんな空間を体験できる機会もめっきり減ってしまったけど。

ここ1週間は、ラフマニノフのシンフォニックダンスに傾倒。

@2016.6.11

ほるんを吹かない音楽

 

朝からしとしと暖かい雨。

今日は田んぼで遊ぶつもりだったけど、雨のせいで家の中。

楽しみにしていた遠足が延期になって、用意したリュックがぽつんと取り残される感じ。

お昼すぎ、急に空が明るくなって、重たい雲がどんどこ流れていく。

ぱぁっとまぶしい陽差し。

つい嬉しくなってお外でほるん。

半月ほど、唇ヘルペスのひどいのが邪魔してほとんどほるんが吹けずにいた。ちょっとずつ調子を取り戻そうっと。

ぽ~ って伸ばしたり、ととととと・・・ って切ったり、ぽい~ん って高さを変えたり ほるんでいろいろ遊んでいたら唇が疲れてしまった。

ほるんを抱えてしばし止まる。

するといろんな音が聞こえてくる。

 

森からぽぽ、ぽぽ、とツツドリののんびりほるん。

田んぼからカラコロカラコロ、転がるようなモリアオガエルのパーカッション。

近くの川のせせらぎは、ストリングスのように爽やかに。

カジカガエルのサラサラした歌声は合唱の音色。

クロツグミやキビタキがフルートのオブリガードを奏でる。

風のようにすぅっとなでるような森の音楽たち。

 

私はほるんを吹いてもいいかしら。

何だかずいぶんお邪魔のような気がして、困ってしまうのです。

武満徹さんの合唱曲のコンサートにいって、お隣のお客さんがそのメロディーを一緒に口ずさんでいる。あぁ、台無し。その方がこの音楽に共感しているのは素敵なことだけど。

そのお客さんのような感じに、私はなっていないかしら。

 

ほるんを吹かない音楽がなんとも素敵なので、困ってしまうのです。

@2016.6.5

ラヴェルの”マ・メール・ロワ”の管弦楽を聴く。

春先のお風呂上がり、まだ身体がぽかぽかしているうちに、裸足のまま、2階の6畳部屋で、裸電球のオレンジ色の光の中、珈琲の苦み。

高校生のときは、これもラヴェルの”ダフニスとクロエ”にはまって、帰りのバスに乗ったら、MDウォークマンのイヤフォンを両耳にぎゅうっと押しつけて、同じフレーズに毎日感動して泣いたりした。

あの時の感性、そのまま。

今日、学童の仕事で小学生と遊んだ。サッカー、キャッチボール、鉄棒、うんてい、おままごと…など一通りのことをやらされた(笑けど、意外と夢中でやれる33歳の自分に、笑えて仕方なかった。

あの時の好奇心、そのまま。

大人になって、社会にもまれて、子どもの頃の素敵なものを諦めていたように思っていたけど、そんなことないのかも。

音楽は、不思議なことにそんなことばかり私に訴えかけてくる。

今日は大晦日。自分のしたいことをする1日にしようと決めていたので・・・

朝起きて歯磨きしてほるん

神社の大杉から聞こえる不思議な鳥の鳴き声をリサーチしながらほるん

たまっていたメールを返しながらほるん

お昼にナポリタン作ってからほるん

お風呂わかしながらほるん

キツツキ追い払いもってほるん ナンテンの赤い実を探してからほるん  餅蒸す間にほるん 年越しそば食べる前にほるん・・・

ということで、一日ほるんを連れて歩いた感じ。ネコの来ないところに、すぐシュッと楽器が置ける、というのは本当に便利。なんで今まで気づかなかったんだろ・・・。

今日はシメの日。終わりの安堵感は大好きです。来年はもっと、ほるんを日常化♪♪

@2015.12.31

高島のガリバーホールで地元吹奏楽団の演奏会に出演させていただきました

ガリバーホールはキャパ450名ほどのこぢんまりしたホールですが、響きが素敵で、特に少人数や個人での演奏にはもってこいです

リハの合間のごはん休憩で、みんながホールからいなくなるのを見計らって、ひとりホールに立つ

なんて贅沢な時間!ホールをひとりじめ

ひたすら自分の音に立ち向かう

岩のようにごつごつしたスラー、干してしぼんだダイコンのようなしょぼくれたアタック、ベニヤ板のような薄っぺらい余韻・・・

ストレスが水銀温度計のようにきゅいーんと上がって、頭の中をぐるぐる

なんでこんなにほるんに執着するのかしら、こんなに悩んでまで

するとどんどん過去にタイムスリップして、高校生の私に行き着く

思い出すのはいつも同じ風景

寒い冬の廊下で 木管4重奏の連符をひたすら練習する 腕まくりの高校生

だから 好きなんやな

まわりまわって結局は 好きなんやな

ほるんに一生を振り回されている気もしながら

(犬の散歩をしているはずが、犬に引っぱられて散歩させられている人みたいやな)

そんなオチに笑えてきてスーッと音を出したら

意外にお気に入りに近い音が鳴った

ほるんという道具を操って私の考えていることを表現する

言葉で言えば簡単なのに その回りくどさに魅力がある

さて、ほるんと一緒にいつまで遊んでいられるかな

ほるんを連れてどこへ行こうかな

@2015.12.20

ほるんのまぁるい形や優しい色や音を、はっと気がつくと、いつも思い描いている。

それこそまるで初めて好きになった人のよう。

困ったな。

唇がむずむずして自然と潤ってくる。

どこでどのようにほるんを吹くのが私らしくて自然だろう。

ひとりではどうしても、かなしみというしみが心に一滴。

車を運転しながら、15年前のIPodの音楽。

昔好きだった曲も、今聴くと何とも思わなかったりして、心がカラカラになったのかな・・なんて思う。パンでいうとラスク。

今も相変わらず染みこんでくる音楽は、ビートルズとクラシックの好きなの何曲かだけ。

ドビュッシーのピアノと、レスピーギの管弦楽と、マーラーの6番と、ラドヴァンのホルンと・・・

こんなにいろんな音楽が溢れる世界にいて、自分に相性のいい音楽ってごく一部なのかも。

人間関係とおんなじ。

@2015.4.5

音楽と自然の関係

緊張と緩和・・・ぴんと張るのとゆとりがあるのと

乾燥と湿潤・・・カラカラなのとじめじめなのと

暖色と寒色・・・ほんわかしているのとひんやりしているのと

弾性の有無・・・びょーんと伸びるのとぶちっとちぎれるのと

重量の程度・・・ひょいと軽いのとどしんと重いのと

放物線の速度・・・まるを描く時の速いところ遅いところ

浮力の度合い・・・浮くものと沈むもの

 

農作業をしながら手で触れたもの、風に感じたものを音楽の場面でよく使うことに興味を持っている。

音楽の性質と自然の現象のそれとがよく似ていて。

むしろ同じことなのかもしれない。

音楽と自然が最も似ているのは、水の流れ。

もっと整理したら面白い発見がありそう。